| 【ネパール 現地調査 報告書】 作成日 2006年4月25日 作成者 宮城国際支援の会 鈴木 信 出発日 平成18年4月16日 現地活動日 平成18年4月18日(火)〜平成18年4月20日(木) |
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今回で平成17年度最終となる渡航は、バンコク経由でカトマンズまで行った。タイは日本の真夏と同じでしたが、ネパールは春の日本と同じ気温である。ネパールの夜は極端に気温が下がり、ジャンバーが必要で、最高で気温差が20度にもなる。渡航当日は、今までの水不足が嘘の様に雨が降り、それも4ヶ月ぶりの大雨ということで、現地では喜んでいた。
デモと軍隊の衝突で、4名が射殺され、1名が手榴弾で死亡したと国内では報道されていました。ネパール王は月に日本円で5000万円の所得を得ていたという事が判明し、それがストライキの引き金になったようである。内閣の解散という事態も政治家が私欲に走ったことが判明したことで起きたことだが、それにしても国王は悪いということで、今後も混乱が予想される。 国王は、2000万円以上の外車を20台以上持ち、タバコ会社、5つ星ホテルなど 莫大な資産を持っていながら、国民には何も還元せず、月5000万円の収入を得ており、まるでイラクのフセイン大統領同様の独裁政権に近い状態ということです。国王中心の今の政治を変えようとして、民衆がデモを起こすのは当然かと思う。 ネパール王とインドの閣僚との間で会談の場をもったものの話は決裂。それがテレビで放映された後、大きなデモ計画がなされ、そのデモ計画が次第に大きくなり、暴動に発展しようとしたため、軍が民衆を5名射殺したという現地情報だった。 それを抑えるため、夜の外出禁止令だけだったのものが、夜の2時から翌日夜20時まで、14時間という昼も含めた長時間の外出禁止令が発令されるに至ったようだ。その当日に、今回の訪問がぶつかったということになる。 到着初日は、タメル地区の店もシャッターが閉まり、初日はミーティングのみになった。渡航前の会議議事に基づき、スクンダのメンバーと今後の支援について話し合いました。翌日も結局、村には行けませんでした。村に行く途中で、襲撃される可能性も高いことと、最大の目的の食材が手に入らない理由からです。街をバイクで移動していた時も、車が燃えていた。今回は残念ながら給食配布事業もできませんから、ミーティングと今後の活動の為の市内での調査となった。国王が何らかの回答を出さなければ、店は開かないようなので、待つしかない状態であった。 |
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スクンダの会長が7月からウッタムフニャル氏に代わる事と彼の仕事は、カトマンズゲストハウスの支配人という事もあり、ヨーロッパやアメリカなどから来るボランティアに興味がある客人に対して、今後の支援や協力も得られるようにして行きたいと語っていた。 |
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***今月の事業は実行できていないので、その分来月以降に行い、年間の回数24回は変更しないものとする ***年間24回の報告書は、継続してメールで提出する ***ドクターの報告書も同送する ***ドクターの報告書は必要に応じて日本で略する ***機材の管理を厳重に行う ***カガチ村の村民は、何度ドクターが説明しても、診療代を払わない ***収入はバラズへ米、麦、とうもろこし、牛乳などをバスで売りに行けるようになった ***初代アニールドクターは、脳の勉強のため、ドイツに行った 平成18年度国際ボランティア貯金関連 ***ラックスマンドクター、看護士、検査技師の3名は継続して雇用予定 ***ワークショップは月1回の12回に変更し、人数は200名に増やす ***学校給食は、月2回の24回継続し、人数は240名に増やす ***配布物は、年2回石鹸のみをワークショップで配る ***発電機は、予定の10Kのものを購入する。業者はスクンダにはおらず、まだ見積もり段階である ●今後について 5年計画の3年が過ぎようとしているところであるが、いろいろと案が出た。 ***ゴミ捨て場の建設により、シューデニー村に診療所を作る計画が出たらしい 規模は小さなもので、医師はいない形態だという シューデニー村人口約3000人 ***カガチ村診療所の機材を使用しない曜日にレンタルして村へ還元する ***日本側でもカガチ村の診療所の今後を考えて、運営計画を作成する ***18年度の予算が決まったら、ダサイン祭りは避けて渡航する ダサイン祭り9月29日から10月7日まで ティハル祭り10月22日から10月24日まで |
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| ミーティングのあと、通常の住宅地からは帰れなくなる可能性大だったので、急遽、アショク宅からタメルのホテルへ移動。航空機の国内線はストップしていたが、国際線は動き、軍関連のバスが空港まで行くという情報であったので、タメル地区に移動し宿泊した。
●最終日 シャッターはすべて締まり、人も空港へ行く外人以外は、軍の兵士だけである。 アショク氏も一緒に泊まり、翌日バスが来るという場所へ行くと、軍の兵士(半分は若い女性)が機関銃のようなものを全員持っている。写真を撮ろうと思ったが、なかなかチャンスがない。 日本人は誰もいない。日本の記者も、むやみに外出はできない状況である。 空港へ向かいバスにも軍関係者が数人乗り込んだ。 街はかなり緊迫しており、空港へ向かう途中、バスも何度か止められ、話をする軍の兵士の後ろで2,3人銃口をバスに向けている。
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